vtuber
vtuberが単なる一過性の「コンテンツ」に過ぎないというのは、大きな誤りである。
時代の転換を象徴する重要な種を内包しているので、例えvtuberというコトバ自体は立ち消えても、その本質をそっくりそのまま受け継いだ新たな名前のものとなり、生き続ける。
断言する。
vtuberの本質は今後、絶対に消えることはない。
ではそのvtuberの内包する、重要な種とは何か?
vtuberはよく、2Dだからダメ、3Dでないとバーチャルじゃないと耳にする。
確かに今後、3D主体になるとは思われる。
しかしそれは技術進歩の問題であって、入りやすい、郷愁といった様々な要素からも、2D・3Dは共存してゆくだろう。
――― 問題はそこではない。
よく例に出されるが、のらきゃっと氏がわかり易い。
今となっては(昔からか?)様々なヒトによって「のらきゃっと」は存在しているが、当初は肉アバターが男性である、のらねこ氏の魂が「のらきゃっと」を通して浮き出ていた。
そこでは性別・ビジュアルさえも意味を為さず、透過した個性が全てとなる。
そうした後、「のらきゃっと」にガチ恋する者が続出する。
つまりは2D・3D関係なく、大衆が肉アバター(現実世界の、我々のこの肉体)から浮き出た魂という個、存在の拠り所を、仮想キャラクターというフラットで軽いマジックフィルタを通して、重要視する時代になってきている、ということだ。
種とは意識の変革である。
少なからずも以前からあったであろうが、今こうして普遍となり始めた。
私は思う。
全人類が自らの肉体を捨てる日は近い。
仮想現実のアバターと同じように、この肉体でさえもただの衣服のような――― そんな認識となる。
そうしていずれは、現実世界という3次元の地球から、4次元、いや高次元の扉を抱える仮想世界が、今後の我々の母星となるのだ。
vtuberはその本質的片鱗を、身をもって体感することのできるものである。
言うなれば今後の世界を象徴するもの。
単なる「コンテンツ」と違う点はここにある。
みなさんも時代の黎明期の黎明である今、vtuberという最もよくわかりやすい例を存分に観察しよう。おすすめです。